毛利時代の堤防・澪止め工事

1888年 4月15日   堤防(ていぼう)工事のはじめる

1889年 7月5日  早朝から、澪止め(みおどめ)工事開始

         3か所の澪(みお)を作り上げたが、そのうちの2つが波の力によって壊されてしまった。

    7月7日  二回目の澪止め工事をはじめる

         昼も夜も一生懸命(いっしょうけんめい)働き続けた。

    9月11日   暴風雨、津波発生

         新田の堤防はことごとく破壊されてしまった。また、事務所などの建物も流され、工事をする人たちも数十名行方不  

         明となってしまった。

    9月20日   話し合って、再び工事を行う

         海風が強く、だんだん寒くなっていく時期であるため、昼も夜も工事を急いだ。

    11月14日 三回目の澪止め工事完了

         つづけて、堤防の工事をしようとするが、寒すぎて工事が進まない。

    11月26日 高潮により澪止めがこわれてしまう

    12月4日   四回目の澪止め工事完了(図1、図2)

1890年 5月     堤防完成=毛利新田の完成

工事が始まってから完成まで3年以上かかっている。また、もともとは13万円明治時代の1円は、今の3800円ぐらい)でできると思っていたが、実際にかかった金額は40万円(今でいうと15億円くらい)にもなった。

図1「明治22年12月10日牟呂新田澪へ字龍江ヨリ土砂運搬之図」

海側へ杭(くい=木の棒のようなもの)をうめて、海水によって堤防がけずられて、こわれてしまうことから守っている。

図2「明治22年12月10日牟呂新田澪へ其内外ヨリ土砂運溲之圖」

写真左側に杭があるため、左側が海側とわかる。

そもそも澪止め(みおどめ)って?

澪とは、海や川などで、水が集中して流れている部分のこと。澪止めとは、澪を堤防などによって流れを止めることである。詳しくは下記リンクを参照。

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