毛利新田の売却

毛利祥久(もうりよしひさ)は荒れはてた新田を売ることになった。買ってくれる人を探したが、毛利新田がどうなったかを聞いた人々はみんな、毛利新田を買おうとは思わなかった。

 

そんな中、神野金之助(かみのきんのすけ)は、前に沼を田んぼにした経験や、実際に毛利新田をおとずれ、完成させるのは大変だが、新田が完成した成果は大きく、成功させるためによく考え、毛利新田を買うことを決意した。

 

どのように堤防を作る?

新田を作るためには、毛利新田の時のように壊れることのない、じょうぶな堤防を作る必要があった。神野金之助は、堤防づくりを成功させるため、たくさんの意見を聞くようにした。中でも、二つの意見が対立していたようである。

 

人造石(じんぞうせき)は信頼できないので新田を小さくするという意見

…前までの堤防は、堤防の一番長い部分が、波をたくさん受ける西側を向いていた。そのため、波に耐えることができず、何度も壊れてしまったのである。壊れない堤防を作るためには、新田を小さくして、堤防を短くしたほうがよいだろう。

人造石を使うと言っているが、服部長七がつくった高浜新田(たかはましんでん)も、堤防はぼろぼろになっている。今回の堤防に人造石を使っても、いずれぼろぼろになってしまうだろう。人造石をつかうのはやめたほうがいい

→これまでの、あきらめてしまった毛利新田の様子を見ていることもあり、地元の人は①の意見に賛成した

 

 

人造石を使えば新田を小さくしなくてよいという説

…堤防は壊れているが、堤防の基礎(きそ=もとになる部分)は海の中に残っている。①の説を選べば、せっかく残っている基礎を一から作り直さないといけないし、300町歩(300ちょうぶ=約3㎢=東京ディズニーランド6個分=左の地図の赤い部分)も失ってしまう。それに、以前の堤防が壊れてしまったのは技術不足によるものだ。高浜新田もの時よりも技術は進歩している。また、人造石の材料も近くにあり、工事がしやすい。だから、人造石を使うべきだ。

 

  

 

金之助は長七とともに宇品港をもう一度見に行き、波の強さにびくともしない堤防を確認した。そして、毛利新田よりも高く、角度を変えた堤防をつくれば波にも耐えられると考え、②の説を取り入れることにし、人造石を使うことに決めた

 

毛利時代との違いの一つ目は、人造石を使うことである。

神野時代の堤防・澪止め工事

秋冬の西風が吹くまでに澪止め(みおどめ)工事をすばやく終わらせないと、失敗をしてしまう。そのため、9月17日に大手堤防の澪止め工事を開始しした。スピードが大事であるため、紅白の2組に分け、先に真ん中にたどり着いた組に賞金を出すとして作業者のやる気を出すように工夫した。しかも、どちらかが勝って得をすると不満も出るため、両組が真ん中に近づいたところでゴールとし、どちらにも賞金を出すようにした。

 

この工夫のおかげで、2時間で澪止め工事を終えることができたし、死傷者が出ることもなかった。

 

澪止め工事の前日、「さすがに1日で完成するわけがない」と思って内側に船を置いたままにしている者がいた。しかし、驚くべきスピードで完成させたため船を海の方に出すことができなくなってしまったそう。結局、船をバラバラに解体して持ち出した、という話が伝わっている。

 

堤防づくりの違いの二つ目としてはスピードアップを狙った賞金の設定である。

堤防について

上の図のように、波が直接あたるところに人造石(赤いところ=タップしたらくわしい説明あり)が使われている。

 

 

毛利新田の時の堤防は高さ1丈(じょう)8尺(しゃく)(約5.5m)だったが、暴風(ぼうふう)のときには波が堤防をこえてきていたため、堤防の高さを2丈4尺(約7.3m)にした。

 

波はこえなくなったが、激しい波が堤防にぶつかると はね返り、次の波にぶつかって堤防に水しぶきがぶつかっていたという。そのため、大手堤防はさらに3尺(約90cm)高めて、堤防の高さを2丈7尺(約8.2m)とした。これにより、波に耐(た)えることができる堤防ができたという。

 

 毛利時代の堤防とのちがいの三つ目は、人造石をつかったことと、堤防の高さを高くしたことにある。