牟呂用水(むろようすい)

米作りに水はとても大事。海が近く水はあるけれど、海水には塩分(えんぶん)があるから、米を育てるのには使うことができない。新田を作るにあたり、用水路を作るひつようがあった。

 

牟呂用水は1888年に、毛利祥久(もうりよしひさ)によってつくられた。賀茂(かも)村から牟呂村まで約13kmにおよぶ。しかし、堤防(ていぼう)がこわれた(詳しくはこちら)ときの暴風雨によって、用水の堤防も大きなひがいを受けた。その後、神野金之助(かみのきんのすけ)が、毛利新田といっしょに用水路も買った。

 

 

1896年に完成したが、その後も災害によって流れの変更された。その工事はとても大変で、お金もかかったが、その分水の量も増えた。前までは塩分も多く、お米もあまりとれなかったが、用水路の水で洗い流すことにより、良い田んぼへと変化をしていき、収穫量の増加にもつながっている。

(図 牟呂用水の遺産と人造石工法 より転載)