〇勧誘
堤防が完成したため、引っ越してくる人をぼしゅうした。しかし、できたばかりの土地で、塩分も残っており、なにより毛利新田の失敗を知っている人からしたら、不安ばかりだった。そのため、あまり人が集まらなかった。そこで、金之助は、一族の人々とともに宣伝と勧誘を行った。
居住者を種別にまとめると、
①毛利時代から
②神野時代から
③太平洋戦争末期及び、戦後から
にわけることができる。
〇移住した理由
①牟呂吉田付近の人々
人や家が多く、田畑が少なかったため、ほかの地を求める必要があった。牟呂吉田は神野新田と距離が近いため、引っ越してくるこ
とが多かったと考えられる。
②田原町堂浦、波瀬の人々
水田が比較的少なく、農業のみで生活ができないため困っており、神野一族の勧誘をうけて移住した。
③海部郡・三重県桑名郡・岐阜県海津郡の人々
木曽川改修工事によって、家や農地を失い、移住した。
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